其の参 米一丸の踏切
− 福岡市東区箱崎周辺 −
犬鳴峠に行って以来、心霊探偵ジゴ郎が体調不良を訴え、その影響か行動や言動に不可解な点が見え始めた。
今回はそんな心霊探偵ジゴ郎に代わり、アシスタントのホワイティが恐怖の世界へご案内いたします。
7月×日
私、ホワイティは単身福岡市内某所にある「米一丸」踏切へと向かった。
一見してみるとごく普通の何の変哲もない踏切であるが、しかし、この「米一丸」踏切では毎年多数の自殺者が出ており、
エキサイト調査部長も「米一丸」踏切において恐怖の体験をしたという。
この踏み切りは車が2台通るのがやっとの小さい踏切ではあるが、近くが大学や住宅地になっており、
昼間は非常に人や車の行き来が多い場所であり、夜間も人や車の行き来が絶える事はない。
「こんな場所で本当に自殺者が多数出ているのか?」と疑問に思いながらも踏切の回りを見渡してみると
踏切の手前に小さな祠を発見した。
そこには「米一丸」に関する何とも奇妙な物語が記してあった。
駿河の国に木島長者と言われた貴福な人がいた。子宝に恵まれず、夫婦は米山の薬師様に祈願をかけ、
ある日、婦人は懐妊され無事男の子が生まれた。米一丸と名付けられた。
米一丸は才智抜群で十五歳の時に加冠、従四位、正直の名乗りを授かった。
二十歳の時、絶世の美人と言われた八千代姫を娶い、
結婚披露宴の為、父は八千代姫を連れ主筋にあたる京都の一条殿の館へ出掛けた。
姫を一目見た一条殿は忽ち横恋慕し、米一丸を亡き者にして姫を側室にしようと企みをめぐらせていた。
一条殿は若き日に筑後・柳川へ流浪した時、路銀を使い果たし伝家の宝刀を博多の質物商に質入していた。
それを取り戻したいとの事で、米一丸はその一条殿の命により郎党を従え博多へと出発した。
しかし、これは一条殿の米一丸を謀殺せんが為の陰謀だった。
やっとの思いで銘刀の取引も終わり宿に引き上げる途中、奉行配下に囲まれ攻めたてられた。
米一丸は箱崎松原付近で主従折り重なるように恨みを含んで自刃して果てた。
八千代は米一丸の安否を心配して、旅を続け博多までやってきたのだが、すでに米一丸は討ち死にした後だった。
悲嘆にくれた八千代は供養をした後、墓前で従女と供に自害した。この時八千代はまだ十六歳であった。
米一丸の母も我が子を案じ八千代の後を追うように、待女を連れ旅にでたが、博多を目前に米一丸の死を聞き、
力も尽き果て、旅の疲れも重なり、本木郷、さがり藤の民家で五十余歳で生涯を閉じた。
その後、里人は哀れんで供養塔を建て、さらに、供養塔を囲むように地蔵堂を建立し、
奥方と米一丸の親子地蔵二尊を刻み崇めるようになった。
「なるほど、この場所にはこんな話があるのか」と納得した私ではあったが、
しかし、それでも何故にこの踏切内において多数の自殺者が出るのか理由が分からない。
私はそれを確かめる為に踏切内へと足を踏み入れた。
「米一丸」踏切は単線になっており、電車は上り、下りのどちらか一方しか通過できないようになっていた。
「別に何も変った事がないな」私がそう思い踏切を出ようとした、その時「あ、足が動かない・・・」
まるで足がピッタリと線路に張り付いたかのように動かなくなってしまったのである。
「洒落にならない、このまま電車がきてしまったら・・・」そう考えると背筋がゾッとする。
誰かに助けを求めようとしたが、夜間にも人通りの絶える事のない踏切にこのときは誰もいないのである。
私はこんな場所に1人で来た事を後悔していた。
すると警報機がなり始めたのである、そして、遮断機が降りはじめる、電車のライトも見えはじめ、
もうダメだと思ったその時に突然、携帯電話が鳴りはじめる。
私が急いで電話にでると、「早く、今のうちに逃げろ」とジゴ郎の声が聞こえた。
不思議な事にその声が聞こえた瞬間に足が線路から離れ自由になったのだ、私は間一髪のところで
踏切内より逃げ出す事が出来た・・・。
「ここはもう何十年も前から自殺者が後を絶たないんだよ、私も1度自殺するところを見たことがあるんだけど・・・
ふらふらと踏切内に人が入っていったと思ったら、急に踏切の真中で立ち止まったんだよ。
それから急に自分の足を引っ張り出したんだよ、まるで足が線路にくっついているかのようにね・・・
そして、恐怖の表情を浮かべながら来た電車に轢かれたんだよ。」これは近所に住むお婆さんから後日聞いた話である。
実際に体験した私にはこれが作り話でない事がわかる。
エキサイト調査部長が中学生の頃に「米一丸」踏切で撮った写真には踏切の上に浮かぶ虫取り網とそれを掴む腕だけが
写っていたという。
私の命の恩人であるジゴ郎は未だに心身に異常が起こっている。
そして、私の足首には手で鷲掴みにしたような痣が残っていた。